西日本新聞朝刊を読んでいて、「デスク記事」に目に留まりました。
 「最近、よく使う駅の身障者用駐車場。福祉車両の後部からスロープを出し、重い障がいのある息子を座らせた大型のバギー(車いす)を押して乗せようとしていると・・。」という文章で始まり、幼稚園児と思われる男の子が、目を輝かせて車いすを車に乗せる様子を見るために近づいてくる様子が書かれていました。
 じっと見入って「かっこいい・・・」とつぶやく男の子と、にこやかな母親。

 この記事を書いた記者さんは、この男の子のまっすぐな視線がまぶしいと書かれています。
 重い障がいのある息子と行動を共にしていると、目を背けられたり、障がいのある息子さんをじろっと見られたりという大人の目をたくさん経験されてきた、とも。
 そんな大人の目と全く違う、まっすぐな目に驚き、何が大人の目に変えてしまうのだろうと書かれていました。

 この記事を読んで、ずいぶん昔の出来事を思い出しました。
40数年前、いくつかの偶然が重なって、障がい者入所施設の栄養士として勤務することになりました。
 数カ月後、初めてのクリスマスパーティに、許可を得て子ども3人を参加させていただきました。母親が働いている職場を見せておきたかったのです。

 障がいのある利用者さんで満席の食堂の片隅に、母親と並んで座った小学1年生と5歳と2歳の子どもたちが、どんな反応を見せたと思いますか?

 2歳の末っ子は、周りの障がいのある方たちの、ニコニコと楽し気な雰囲気や目の前のご馳走を、心から楽しんでいました。
 一方、上の1年生と5歳の2人は、障がいのある人達がたくさんいる状況に戸惑い、座っている椅子をガタンガタンといわせて母親の方に近づこうとし、障がいのある利用者さんから距離を取ろうとしました。
 2歳の子は、「楽しそうな人がたくさんいる」と認識し、上の2人は、いつも「見慣れている人とは違う人がいっぱいいる!!」と驚いたのでしょう。

 その3人の様子を見て、少なくとも2歳ごろから障がいのある子もない子も、混じって育って行けば、上の2人のような「違う人たち!」とは反応せず、「Aちゃんは、Aちゃんの歩き方で歩く」「B君に説明するのが難しいけど、C君が説明するとうまくいく」「Dさんは、誰にも優しいから、困ってしまって泣いてしまうことがある」・・等々、1人1人の特性として、自然と感じあって育っていくのではないかと思った記憶があります。
 あの頃はまだ、町中に車いすに乗った人を見ることは、ほとんどありませんでしたが、今は結構見かけるようになりました。
 「にこやかな母親」のように、人々の認識も少しずつ変化しているように思います。