今朝の新聞を見て仰天しました。信じられませんでした。
 アフガニスタンの地で、行動されることは、常に死と隣り合わせだということは理解していたつもりでした。
 又、これまでの行動や文章を読むと、死を覚悟して行動しておられることは、想像できることでした。
 でも、これまであれだけの厳しいところで、その厳しさを乗り越えて、誰も発想もできない広大な「水と緑の大地」を、自ら重機を動かして水路を掘り、創り出してこられた偉大なる中村哲さんだから大丈夫だろう、あの中村哲さんだから大丈夫だろうと、今思えば何の根拠もなく思っていました。
 日本から行っていた若いスタッフが殺されたときも、ほかのスタッフは帰国させ、ご自分だけ残って活動を継続されてきました。
 そんな中村哲さんだから、本当にアフガンの人になりきっていて、殺される危険は避けることができると自信をお持ちなのかもしれないとも思っていました。
 そんな死の危険を何度もかいくぐってこられたであろう中村哲さんでも、殺されてしまいました。
 なんということか!!!

 福岡の方だし、福岡にペシャワール会の事務局もあるしで、こんなすごい人が福岡の人なんだ、福岡に後方支援の事務局があるのだと、なにがなし誇らしく思っていましたし、わずかな寄付もしました。

 数日前にも西日本新聞に、中村さんの独特の文章が掲載されていて、がんばっておられるなあと感嘆しながら熟読しました。
 まさか、あれが絶筆になろうとは!

 20年前のことを思い出しました。
 ジョブサポートを始めた頃、新宮町にある肢体不自由児施設新光園を定年退職されたマッサージ師のAさんが、馬出の事業所に毎月訪ねて来てくださっていました。
 ご病気を抱えておられたので、九大病院を定期受診した後、開所して間もないジョブサポートのことを心配して、何か手伝うことはないかなと、寄ってくださっていたのです。

 利用者第1号のBさんは、視覚障害をお持ちで、マッサージの仕事をしたいと言われていましたので、その指導をお願いしていました。

 Aさんの話の中にペシャワール会の話が度々出てきました。
 Aさんは「僕も会員なんだよ」と、新しい会報が出る度に持ってきてくださって見せてくださいました。
 気候風土の厳しいアフガンに生きる人々を描いた甲斐大策氏の絵のあるその会報には、中村哲さんの現地の様子を書いた独特の力強くわかり易い文があり、読んでいくとその地の厳しい空気を吸っているようでした。
 困難な中で地道に粘り強く取り組んでおられる日々を、具体的に書かれているので、すごい迫力と説得力があったことを覚えています。

 ある時、Aさんが「アフガン現地に行ってきたよ」「自分の体力では今回限りだろうけどね」と言って、いろいろ聞かせてくださったことがありました。
 病気を診てもらうために、何時間もかけて(時には丸1日かけて)診療所に来る人がたくさんいること、女性は一人で家庭の外には出られないなど男尊女卑の気風の強いところだけど、具合の悪い奥さんに付き添ってくるやさしい男性も多いこと、Aさんの専門のマッサージをたくさんに人に施術したことなど、・・・・。
 あれからもう20年、気候風土の厳しさは変わらないけれど、あの頃はのどかな地域社会がまだ存在していたのだと、Aさんの物語るアフガニスタンの様子を思い出しています。

 砂漠化した広大な大地が、水路を引くことで、緑豊かな大地に変わっている写真を見て、私たち日本人のやるべきことはこれだ!武力ではない!と、心躍りました。
 その水路には、山田堰という福岡の技術が生かされていることも誇らしいことでした。

 中村哲さんをはじめ、アフガンと日本の人々の長年の努力にもかかわらず、営々とアフガンの貧しい人々のために、壊れかかった地域社会と人々の繋がりやその誇りややさしさを残し再生するために、何よりも一人一人の命を救うために、身を粉にして奮闘して来られた中村さんを、殺してしまう程、あの地の人々は困窮し荒れ果ててしまったのでしょうか。

 中村哲さんの「その地の文化を尊重し」「その地の人々が誇りをもって生きて行くために」「水と緑の大地」は、紛争の絶えない今の世界で、私たち日本人の指針であり希望でした。