川崎でのスクールバスを待つ子どもたちを狙った殺傷事件、都内で元事務次官による長男殺人事件という悲惨な事件が起こりました。
 テレビや新聞では「どうやって子どもたちの命を守るのか?」「外国では親が送迎している」という話も出ていましたし「引きこもり」というキーワードも喧伝されています。
 日本は、毎朝小学生だけで登校している風景が当たり前の国で、日本の安全の象徴として、誇るべき事柄でしたが、変わって行くのでしょうか?

 まだ詳細はわかりませんが、どちらの容疑者も、そして父親に殺された息子も、家族や地域の中で孤立していたことは事実のようです。
 ヒトという種 ― 私たちの先祖は、生き残り戦略として「小さくて未熟な赤ちゃんを産んで、長い時間をかけて育てる、親だけではなく集団で育てて共に生きていく」ことを選択し「家族やコミュニティを創り出した」のだから、孤立すると虐待が起こりうるということを3月のコラムで書きましたが、この2つの事件も同じように、孤立している人のSOSに思えてなりません。

 私たちは、ライオンのような鋭い牙も、クマのような寒さに適応できる毛皮も持ちませんし、チーターのように速く走ることも、鳥のように飛ぶこともできません。
 こんなにも弱さを抱えたヒトとという種が、地球上でここまで繁栄したのは、集団の力だと言われれば、そうだろうなあと納得できます。
 
 その弱い人間が、孤立したらどうなるか?
 誰にもわかってもらえない、気にかけてくれる人は一人もいない、居なくなっても誰も気にしない、自分はいったい何者なのだ?・・・・という暗いトンネル。
 自分がそういう状況に置かれたらどうしただろうか?と考えると、胸が詰まります。

 昨夜、
 大阪の街の真ん中、林立するビルに囲まれてポツンと古い棟割長屋が残っていて、不思議な暮らしがあることを映したドキュメントを見ました。少し前に放映されたものです。
 家賃3万円の長屋で、住民はみんな懸命に生きている人たち。

 小さい頃父親から受けた虐待の後遺症のために、パートナーの男性と一緒に住めないシングルマザーAさんの赤ちゃんBちゃんを、同じ長屋の2軒先に住む男性Cさんが、2日に1回ぐらい自分の家に連れて行って、ご飯を一緒に食べお風呂に入れ、一緒に遊ぶなど面倒を見ているのです。
 Cさんの横で、安心しきってぐっすりと眠っているBちゃんの寝顔の可愛いこと!
 Cさんは、Bちゃんが来た時だけは、ちゃんとご飯を作るし、Bちゃんの健康を考えて薄味の味付けを心掛けていると言われていました。

 また、作った料理をお鍋ごと持ち寄って、隣近所の人たちが一緒に食べる場面もありました。
 Bちゃんは、周りの大人たちに可愛がられてニコニコ笑顔だし、その笑顔に大人たちが支えられている様子が見て取れます。

 夫と2人で暮らすDさんは、Bちゃんを抱っこしたいのだけれど、どうしても抱っこできなくて、一緒にご飯を食べていても、少し離れたところで見守っている女性。
 不妊治療で授かった命を流産で失ったことで、赤ちゃんを抱っこすることに強い不安を抱えていたのですが、あるキッカケで抱っこできるようになる「感動的な事件」も起こりました。

 そもそも、
 Bちゃんを産んだ後、AさんがCさんに「自分だけでは育てられないから助けて欲しい」と頼んだことが、このコミュニティの始まりだったそうです。
 引き受けたCさんには、生きる意味を見失うほどのつらい過去があり、Bちゃんの世話をすることで生きる力を得ているようでしたし、赤ちゃんを抱っこできないほど傷ついたDさんの心も次第に回復して行かれたのです。

 誰でも、弱さやダメなところをたくさん抱えながら懸命に生きています。
 その弱さを、互いに共感しあい補い合うことができれば生きて行けるし、私たちは、支え合うことなしに生きていけないのだということを、見せてくれるドキュメントでした。

 蛇足ですが、やわらかく厚みのある声で、聴く者の心に沁みとおってくるような語りは、昨年亡くなった樹木希林さんの娘内田也哉子さんでした。